2020年10月8日〜10月19日
※以上撮影:佐伯慎亮
セツさんのちぎり絵を一番初めにどこで見かけたのか覚えていない。
「これはどうしても必要な本」と思った。手にしてみたらめらめらと元気がわいてきた。
ご主人が亡くなった翌年2019年元旦から始めた新聞ちぎり絵。
本屋と活版印刷所の屋根裏が開店して、
そういえば原画展が各地で予定されているんだよなと思って、天草のみなさんに見てほしいと思って・・・開催することが出来ました。
開催する前に自分でちぎり絵をやってみた。秋の味覚。
実際に原画がやってきて、わたしのちぎり絵、恥ずかしくなりました。
原画を見たとき、これ原画?と店主と話す。原画ってなんだっけ・・・
そんなおかしな質問を真面目にしてしまうくらい、額の中に飾られたそれは絵みたいだったから。
でもよくよく見ると、紙の凹凸がわかる。ちぎったあとの、紙の断面、ふわふわ、がわかる。いとおしくなる。セツさんのちぎり絵を知ったあとでは、素材の新聞やちらしさえも抱きしめたくなる。
原画を見るとやっぱりめらめらと元気が出てきた。
たくさんの方に見ていただきたい嬉しくなってほしいと思った。
結果、開店したばかりの、見つけにくい二階のお店に、想像以上にたくさんの方に来ていただき想像以上の嬉しさをいただきました。
本当にありがとうございました。
絵を見ながら、わあ!とかすごい!とばかり言ってしまう。
一緒に見てるのに、みて!みて!と言ってしまう。
語彙を奪われてしまう。
嬉しくてたまらない。
会期中、わたしは毎日朝な夕なに見られるという特権を預かっていたのだけど、とにかく見るたびに語彙は奪われたままだし、嬉しくてたまらない。
始めたばかりなのにこんなに素敵、とか、90歳を過ぎてこんなに細かくとか、いろいろ驚くポイントはある。
けれど、セツさんのちぎり絵を見ていてこんなに嬉しくなるのは、それが「超絶技法」にとどまらない、ご本人の嬉しさおかしみを感じるからではないかなと思う。
とにかくよく見ているのだ。愛情を持って。
なんでこんなに細かく表せるんだろう。なんでこんなに素材そのものを表せるんだろう。しかもそこにユーモアさえプラスされて。
それは、日々を懸命に誠実に生きてこられたからで、
つまり懸命に誠実に生きるということは、
よく見る、ということなんじゃないのか。
見ているつもりでも「よく見ている」とは限らないし
それを表せるかもまたわからないけれど
日々を生きること見るということを大事にしたいと心から思ったんです。
その気持ちは、セツさんのちぎり絵を前に顔をぱっと明るくさせる
お客様からも教えていただいたことでした。
里山社さんの本はどれもこれも本当に素敵です!
夢のあと。
2019年の10月17日にできた作品があり、
2020年の10月17日にその作品が天草にあったことは、
わたしにとってプレゼントでした。