「点滅」錦戸俊康写真展
2020年7月1日~7月15日
「日々、眼前の出来事をただ撮ることだけに甘んじていた自身を肯定する為、この青い部屋でしばらく写真を提示し続けてみようと思う。何かわかるかもしれないし、わからないかもしれない。それでも、またここから始めたいと思える場所ができたのだから何かをせずにはいられないのだ。」(「点滅」より)
錦戸俊康さんは天草郡苓北町に住む写真家です。
私達は天草に住み始めてすぐに「アマクサローネ」というイベントを知り、実行委員に加えさせてもらったのですが、そのイベントの実行委員としてともに活動しています。
(「アマクサローネ」についてはいつか書きたいと思っています。)
開店してすぐの、本屋と活版印刷所の屋根裏での初の写真展。
そして錦戸さんにとってはいつまでと終わりの決まっていない毎月の展示のスタート。
開店はしたけれど、まだお店としてのたたずまいはおずおずとしたもの。
そこに錦戸さんの写真が展示されたことで、本屋と活版印刷所の屋根裏という、自分たちではじめたこの場所そのものにはっきりと言われたような気がしました。
「お前たちは、なんやようわからんものをはじめたんだぞ」
「点滅」は、どの写真が好き、とはっきり指をさせるような写真展だったように思います。
例えば作家の写真展をするなら写真集を出すなら選ばれるような、一枚一枚が際立った写真。
私は木々のあいだに九州電力苓北発電所の煙突と煙が見えている写真が
田中一村の絵のようで、批評をもった現代美術のようで、とても好きでした。(私の解釈です)
けれど、何度も繰り返し写真を見ているとそのときによって好きな写真は変わります。
「点滅」という言葉から、私は「まばたき」という言葉を思い出します。
人は70歳まで生きるとしたら5億回もまばたきをするそうですね。
まばたきなんて意識することなく勝手に身体がやってくれていること、
そしていつも動くのは身体を持つわたしのほうで
同じ方向を向いていたら目の前の景色が勝手に変わるとは思えません。
けれど、こちらのまばたきとともに世界が点滅しているのだとしたら
「見る」という行為はあるまたたき以後がらりと変わるのではないか。
錦戸さんの写真展が始まってから、日常的に考えはじめたことです。
※錦戸俊康さんのnote
写真展 「点滅」を終えて