「図鑑」錦戸俊康写真展
2020年9月23日~9月30日
「学術的な意味合いなどまるでないのだが、極私的な図鑑を作る為の材料を故郷で暮らす日々の中で集めている。それが図鑑という体をなしていなくても、いつの日か私を形成するものを具現化できたならば、それは私の図鑑なのだと言いきりたい。」(「図鑑」より)
プリントされた写真が押しピンでとめられている。
蝶やカマキリやムカデやカエル、そして昆虫採集をする錦戸さんの娘さんも、ピンでとめられている。
今回はひとつの生の写真でした。
子どものころ、父親が標本した蝶をまじまじと見るのが好きだった。
ひっくり返して足を見て、羽の模様を見て、羽の重なった部分を見て。
生きていたらこんなふうに自由には触れない。
標本では、気軽に見ることが出来ない部分を気楽に見ることが出来た。
父にとっては気軽であっても気楽であっても迷惑だったと思う。
図鑑も、写真も、気軽に、気楽に詳細が見られるのがいいと思う人もいるだろう。
重なった写真に錦戸さんはどんな意味をこめていたんでしょう。
今回この「図鑑」の写真を見ていて、
ちくまプリマーブックス36「モグラの鼻 ゾウの鼻」/ 小原秀雄×谷川雁 (筑摩書房)の中の会話を思い出しました。
小原さんが「自然な状態であれば、どれほど攻撃的な動物であろうと無制限にはならない。ところが人間は文明の力で攻撃を続けることが可能で枠が外れてしまっている。」
と言う。
それに対し、谷川さんが、
「人間がほかの生物にとって決定的な災いとなることを、動物学者の立場からどう考えるか」と問う。
小原さんが答える。
「ヘビがきらいとなったらとことんまで殺すというような行為が、もしも人間の情動のレベルに原因を持っているとしたら、いくら私たちがヘビを殺すなといっても無力のような気がします。しかし、小さな子どもはみんな動物が好きです。それは自然に根拠があるとみられます。それがだんだん変化するわけで、むしろ教育というような側面で”きらいな動物”と排除する方法とをつくり出しているんじゃないかと思われるわけです。小さなときなら共存可能な情動を持っているようですよ、人間も。」
人間と人間以外の生物 というよりは
人間の大人とそれ以外の生物 というグループに分かれるのかもしれない。
人間の大人以外の大きな生のかたまりを見ている人間の大人たち。
実際、「図鑑」をまじまじと見て写真の中に入ろうかとさえ見える子供がいて、
それは”観賞する”行為とはかけ離れた原初的な喜びに感じた。
※錦戸俊康さんのnote
写真展「図鑑」を終えて